大正元年生まれの亡き父は2度の応召を経験し、太平洋戦争の前には現在のベトナムである越南に駐屯したことがあったと聞いている。そのころの越南は、当然のごとく開発途上にあったわけだが、酒を飲んで機嫌のよい晩は、往時の思い出をよく話してくれた。
-初めての行軍で小さな橋を渡ったとき、素っ裸の男女が野っ原で抱き合っているのが見えた。昼日中だぞ。教育がなっていないのか、ずいぶんと風紀が乱れていたな。
まだ10代だった私は、親父がさらっと言い放ったこの「風紀」という言葉に新鮮な響きを感じ、このひとときの昔語りが深く心に刻まれた。 風紀とは、「風俗・風習についての道徳上の節度や規律」と辞書にある。おそらくは、法律として明文化されていない戒めであり、暗黙のうちにわれわれが共有しているはずの正義とでもいえるのかもしれない。
10月の日本オープン最終日の6番ホールで、バンカーショットの始動に入った石川遼を凍りつかせたあの出来事が、私にこの「風紀」という言葉を久しぶりに思い出させた。その後、ギャラリーのマナーをめぐる様々な意見が飛び交ったが、多くは石川君に同情的な内容だった。
またその一方で、携帯電話ごときに惑わされるようでは集中心が足りないといった声もあった。しかし、私が残念だったのは石川君のことではない。
トーナメントのボランティアの一人が
-写メぐらい、撮ったっていいじゃんねぇ。
と言ったという話に、私は落胆した。自由、自己主張は、この国に民主主義を根付かせるための重要なキーワードであることに異論はない。議論、反論も全体主義と永遠に決別するためには必要だろう。
しかしその前にわれわれは、共感、協調という心根をもう一度培養し直すべきではなかろうか。バンカーの中で、一打逆転を期してバックスイングに入った石川遼を、どれだけの人たちが固唾を呑んで見守っていたことだろう。携帯電話のシャッター音が乱したものは、何も彼の心だけではない。無数のゴルフファンの熱情に大水を浴びせたのである。
私は米国から帰日して間もないころ、購入したばかりの携帯電話の使い方を覚えようと、電車の優先席で盛んにいじっていたところを若い男性にたしなめられたことがある。非常識を恥ずかしく思い、またその青年の心意気にも感銘して、その後私は二度と優先席で携帯電話を使うことはなくなった。
しかし実際のところはどうだ。電車に乗るたびに改めて観察しているが、優先席は携帯電話優先であったのかと見紛うほど、まったくの無法地帯と化しているではないか。
さらに、大手を振って歩く若い女性が増えたことにも驚いている。これは冗談ではなく、女性の後ろを歩いていて股間を強打されたことが私は何度もある。
しかも雨の日の地下通路などでは、傘を持ったまま腕を振るので危険極まりない。
雨といえば、こんなこともあった。電車に乗って座席に腰かけた途端、隣の小学生に濡れた傘を嫌というほど押し付けられ、私が黙ってその傘を少し押し戻すと、その子の横にいた母親ににらまれたのである。
被害者は私だっつうの。何号か前のこのコラムで、私は新幹線の座席の下に中型犬を隠して乗り込んだ親子のことを書いた。他人の迷惑などお構いなしの輩は、今やこの国の至るところで増殖している。
半ば厭世的な気分が続いている私の最近の憩いの場は、自宅近くにできたスポーツジムの岩盤浴だ。ほの暗い密室の中で横になり、汗を流していると、何があろうとまあいいではないかという鷹揚な気分になれる。
ところが昨夜の沐浴の折、その静寂を打ち砕く無頼漢の放屁がぶりぶりとその石室内に轟きわたったのである。
-むむ~
いやほんとうに、この国の風紀は乱れている。
廣川亜太郎(ひろかわ あたろう)
医療ジャーナリスト 1951年生まれ 横浜在住
全米生活25年、その間にゴルフ場支配人を経験、30代後半に北カルフォニア公認ハンデキャップ6
現在はハンディキャップ14。「スコアは、ゴルフの神の思い召し」が信条。
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