不穏な気候が続く昨今は、ゴルフに行って雨に見舞われることも多い。「雨具には金をかけろ」という先輩たちの教えに従い、私はエベレスト登山のために考案されたといわれる素材でつくられたレインギアを、いつもバッグに忍ばせている。そのおかげで、ラウンドの最中に空模様が怪しくなってもあわてることはない。屋根付き、フード付きの電動カートの時代となった今では、しっかりしたレインギアさえ身につけていれば、土砂降りの中でも濡れて体を冷やすことはまずない。
手袋も日ごろから使い古しを捨てずにおき、雨の日にもう一度最後のご奉公をしてもらう。乾いたお古を2~3ホールごとに取り替えれば、グリップのすべりも何とか克服できる。こうして私と私の仲間は、パットをしたボールが水を跳ね上げて転がらなくなるまでは、ラウンドを断念することはない。
むしろやっかいなのは、ラウンドを終えたあとかもしれない。それは、クラブとシューズの手入れが必要になるからだ。シューズの中に新聞紙を入れ、14本のクラブを1本1本拭く作業は、ラウンド後の疲れた体には結構こたえる。おまけに飛距離が落ち、アプローチで勝負しなければならなくなったこの10年ほどは、ウェッジをメッキをしていない鍛造のものに替えているため、サビ止めも考えなければならない。
ウェッジを買い替えたとき、私はサビ止めには何がよいのか知らなかった。そのとき、友人から「丁子油がいい」と教えられ、早速通販で購入した。1週間ほどして届いたスプレー式のそれを、私は早速愛用のウェッジに一吹きしてみた。すると、何とも懐かしい匂いがしたのである。(この匂いを、おれは知っている。何だったかな・・・)
私はしばらくの間陶然として、自らの記憶を辿った。そして、背筋をのばした。
その匂いは、亡父の想い出につながっていた。
私が幼少のころ、父は職住接近の必要性を理由に勤務先近くの愛人宅に暮らしていた。まだそんな理不尽なことが許される時代であった。それでも、1人息子に忘れられないように、ふた月に1度程度は顔を見せた。そのころ少年剣士にあこがれていた私は、おもちゃの刀をいつも手にしていた。子供はわんぱくであることを、だれもが許容していた時代でもあり、刀は鉄でできたものだった。あるとき父はそれを手に取り、私を叱責した。
-何だこれは、錆びてるじゃないか。大事なものなら、ちゃんと手入れをしろ。
そして珍しく、父は1週間も経たずに再び現れた。
-おい、これをやるから、ときどき手入れをするんだぞ。
父は、薄汚れた小さなガラス瓶を、私に手渡しに来たのだった。それは、父が太平洋戦争で応召した際に、軍刀の手入れに用いていた御刀油だった。その油は、甘さのかけらもない、それでいて薬品とは程遠い、天然物特有の獣のような匂いを放っていた。
10代半ばで船大工を志したという父は、手先の器用な男だった。「もう木船の時代は終わりだ」と親方に言われ、結局会社勤めになったが、道具の手入れに対するこだわりは、職人になろうとした男の体に染み付いた心意気だったのかもしれない。なぜなら、父のゴルフクラブはいつも一点の曇りもなく磨き上げられていたし、ゴルフシューズには必ず木型がはめられていた。
雨の日のゴルフを終え、自宅で丁子油をウェッジに吹きかけるたびに、私は父を思い出す。私は父とは正反対に、長年ゴルフクラブの手入れなどしたことがなかったが、丁子油の匂いを嗅ぐたびに、「おい、ちゃんと手入れをしろよ」
と、頭を小突かれているように感じる。
それは頑固な父の節くれだった指先と、心地のよいしわがれ声がよみがえるときでもある。
廣川亜太郎(ひろかわ あたろう)
医療ジャーナリスト 1951年生まれ 横浜在住
全米生活25年、その間にゴルフ場支配人を経験、30代後半に北カルフォニア公認ハンデキャップ6
現在はハンディキャップ14。「スコアは、ゴルフの神の思い召し」が信条。
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