−パラグアイ−

大国ブラジルの陰に隠れてあまり目立たないが、隣国パラグアイにも日系人は多い。2008年ブラジルは日本人移住100周年を迎え、約150万人もの日系人が住む。パラグアイは今年で日本人移住74周年。日系人口は約7000人だ。南米では、ペルーやボリビア、アルゼンチン、コロンビアにも日系人が多い。中には大きな日本人コロニーがある国もある。

コロニア・イグアスという移住地は、パラグアイの中の日本だ。首都アスンシオンからブラジルとの国境の町シウダー・デル・エステまでの幹線道路を42キロ地点で降りたところにある。バスを降りたら目の前に食堂があった。もちろん日本食。ラーメンを食べたら、ちょっと懐かしい味がした。食べ終わったら厨房から日本人のおばちゃんが出てきた。「あんた日本の人?」それから彼女としばらくおしゃべり。もちろん日本語で。

移住地は全部、住民にとっては向こう三軒両隣。イグアス移住地にはカラオケも宿もあるのだが、看板は上げていない。みんな知っているので、その必要がないのだ。食堂の横のスーパーには、味噌やうどんなどの日本食材が普通に売られている。日本では見慣れない赤い土の上に、農協もあれば鳥居もある。移住地には大豆を育てている農家が多い。

散策していると日本人女性に呼び止められた。さっきの食堂のおばちゃんの娘さんだった。「もしよかったらうちに泊まっていきませんか?」ありがたい申し出に甘えさせてもらった。おばちゃんのお宅はいわゆる大豆御殿で、主に大豆で成功した農家だった。一世のおばちゃんご夫婦、娘さんご夫婦とその子供たちの三世代が同居していた。

移住してきた当時、一世はパラグアイの公用語であるスペイン語がわからなくて苦労したので、二世にはスペイン語を徹底的に教育した。その結果、二世には日本語を聞いて話せるが読み書きが苦手な人が多い。その反省を生かして、三世はパラグアイの学校と日本人学校の両方に通う。パラグアイではスペイン語と先住民の言語であるグアラニー語を教える。つまり、日系三世はスペイン語、グアラニー語、日本語のトリリンガルなのだ。

「今日は学校でツーチセンもらうの」と小学生のお孫さんが教えてくれた。終業式の日に学校からもらってくるのは通信簿。ツーチセンとはどうも通知箋のことらしかった。祖父母が話す日本語とNHKの国際放送で話される日本語が、家庭内の共通語となる。祖父母からは彼らの代の出身地の方言を、テレビからは丁寧な、しかし堅くもある標準語を伝え習う。だから、三世の若者が"カメラ"ではなく"写真機"と言ったりすることもある。

一家そろって移住してきている人が多いため、日本的な生活がしっかり受け継がれているパラグアイの日本人移住地。日系人というよりもパラグアイ生まれの日本人と呼ぶほうがしっくりくるかもしれない。移住地は赤い大地と作物の緑のコントラストが美しい。古き良き時代の日本が、遙かな国パラグアイにはまだある。

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1. イグアス移住地の定礎板
2. イグアス移住地の中心にある鳥居
3. ラ・コルメナ移住地の定礎板
4. のどかなラ・コルメナの風景

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片岡恭子(かたおか・きょうこ)
1968年、京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、スペイン留学。さらに3年に渡って中南米を放浪。ベネズエラで不法労働中、テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHK『地球ラジオ』にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行雑誌『格安航空券&ホテルガイド』で「バッカー列伝」を連載開始。その後まもなく日本語講師アシスタントとしてフィリピンに滞在したのがきっかけとなり、『地球の歩き方 フィリピン』を編集、執筆する。現在は雑誌記事やガイドブックなどを執筆するかたわら、阿佐ヶ谷LoftAで『旅人の夜』という旅イベントを主催している。2011年現在、44ヶ国を歴訪。世界遺産にも詳しく、2007年8月に放送されたNHK『プレムアム10』「プロが選ぶ世界遺産ベスト30」に出演し、フィリピンの棚田を紹介した。中南米、フィリピンを得意とする秘境者(ひきょうもの)として活躍中。

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